まず自転車競技チームとして多くの方に心配していただき,ご迷惑をおかけいたしました。第24回夏季デフリンピック競技大会の途中辞退に関して,自転車競技チームの状況をここで報告させていただきます。
1.最初に
一般社団法人日本ろう自転車競技協会(以下当協会)は第24回夏季デフリンピック競技大会日本選手団の一員として選手5名とスタッフ1名を送り出しました。
また選手は一般財団法人全日本ろうあ連盟の会員として各加盟団体から送り出された立場でもあります。
2.当協会による新型コロナウイルス感染症対策
一般財団法人全日本ろうあ連盟が示す派遣条件に従い,6名全員,新型コロナウイルスワクチンを3回接種し,さらに自主的に黄熱病ワクチン接種も行いました。またブラジル滞在中は当協会が独自に用意した「N95マスク」を装着し,こまめな手指消毒など新型コロナウイルス感染症対策をしっかり行うことを自転車競技チーム内で共有し,最終的に出発直前に成田空港で受けたPCR検査も全員陰性を確認して出国いたしました。
一般財団法人全日本ろうあ連盟による事前の視察や現地のメディカル関係者への情報収集により,新型コロナウイルス感染症対策が不十分だと分かっているブラジルに向かう以上,他の競技チームも同様に日本選手団としてしっかり新型コロナウイルス感染症対策を講じてきたと思われます。
3.現地での日本選手団および自転車競技チームの状況
残念ながら,ブラジル渡航後すぐに日本選手団内で新型コロナウイルス陽性者が出ました。もちろん陽性者が出た時の対応はメディカルチームとして想定しており,10日間の隔離に伴う食事や生活上のサポートなどの対応,現地の病院への同行などメディカルチームが対応していました。初期対応として迅速にチームごと隔離することによって同チーム内での感染拡大を防ぐことができました。しかし別の競技チーム内で陽性者が出て同チーム内で感染が広がってしまいました。そしてチーム全員のサポートをしていたメディカルチームメンバーの1人にも伝染り陽性者が出てしまいました。これ以上増えると既存の陽性者だけでなく,新たな陽性者の命も守ることができない可能性が大きくなってきました。そのため,5月7日(土)夜遅くに日本選手団本部とメディカルチームから全競技チームに対して事態が想像以上に切迫していることが伝えられ,全競技の出場辞退の要請が出されました。
自転車競技チームとしてはこの時点で2種目(5月8日(日)ロード競技・5月10日(火)マウンテン競技)が残されており,その時点で症状が出ている選手・スタッフはいませんでした。また自転車競技は屋外競技であり,周りの選手との接触も少なく感染のリスクが少ない状態ですが,ブラジルでは症状が出た人以外はPCR検査を受けておらず,無症状の場合もあるため,感染者ゼロとは言い切れません。
そこで当協会理事会で協議を行い,選手・スタッフ全員が納得の上で,日本選手団本部の要請に対して以下の理由から受け入れることを表明しました。
①競技特性からリスクが少ないとはいえ,リスクがゼロになることはなく,今後競技会場や移動時,食事時,ホテルなどいつどこで感染して陽性者になるか分からない。
②陽性者は10日間隔離となるがその後陰性になる保証はなく,いつ日本に帰国できるか分からない。またそれによってメディカルチームが逼迫状況になり,さらに出てくるであろう陽性者の命を守ることができない。
③重症化した場合,ブラジルの病院での治療環境は日本と同じようにはできない。また対応できる病院が限られており,滞在しているホテルからかなり離れている。ポルトガル語・日本語・手話と3つの言語によるコミュニケーションの問題が起きてしまい,対応が非常に厳しい。
④選手・スタッフがそれぞれ日本選手団の一員であり,出発前に日本選手団本部の決定に従うという誓約書を納得の上で提出している。
⑤出発前から新型コロナウイルス感染症の状況によっては派遣取り止めの可能性があることを再三一般財団法人全日本ろうあ連盟から伝えられている。それを受けて当協会のリスクマネジメントの一環として,コロナ禍で行われる夏季デフリンピック競技大会開催中においても競技中止の可能性があることを選手・スタッフに伝え,様々なリスクを想定しどのような事態でも対応できるよう普段から意識の共有を行っていた。
⑥日本選手団本部の出場辞退の要請は既存の陽性者だけでなく症状の出ていない選手やスタッフの命を守るためのものとして受け止める。すなわち自転車競技の自分たちのことだけでなく,日本選手団全員の命(重症化した時のリスクを踏まえて)を守ること,他国の選手,ブラジルの市民の命を守ることを最優先とする。また予定通り無事に選手とスタッフを日本に帰らせることを最も重要な事項とする。
しかしながら症状が出ていない選手やチームにとって競技期間途中の「辞退」は受け入れ難いものです。オリンピックやパラリンピックと比べても決して競技環境が恵まれているわけではないデフアスリートにとって,デフリンピックは人生を左右する大きな存在です。真剣に取り組んでいるからこそ辞退をそのまま受け入れるわけにはいかないのです。またもし受け入れることを決めたとしてもこの思いが消えることはありません。
5月8日(日)以降各競技チームからそのような思いや意見が出され,日本選手団本部とメディカルチームの協議の上で「今後1人でも陽性者が出たら競技辞退」という方針が出されました。
自転車競技はその後残りの2種目に出場し,最終的に自転車競技のすべての種目が終わった5月10日(火)の夜,新たな陽性者が数名出たということで「5月11日(水)以降の全競技辞退」の決定が本部より伝えられました。5月11日(水)以降も競技がある選手やチームにとってこの決定はあまりにも厳しく,その心情を察するにあまりあります。と同時に日本選手団本部とメディカルチームがその苦渋の決断をせざるをえなかった背景や状況の深刻さが痛いほど伝わってきました。日本選手団本部とメディカルチームから誠意をもって各競技チームの選手やスタッフに対して,その決定に至った理由や背景の説明が行われました。
4.辞退決定後の動き
自転車競技チームは5月11日(水)に帰国前PCR検査,5月14日(土)に成田空港検疫所で検査を受け,いずれも陰性となり無事日本に入国しました。出場できなかった他競技チームの選手やスタッフのことを思うと非常に心苦しい気持ちが強く,素直に帰国を喜ぶことができませんでした。残った競技チームの中でも陽性者が発生し,最終的に20名を超えました。
現在陽性者となっている人自身もしっかり新型コロナウイルス感染症対策を行っており,まさか自分が陽性者になるとは思ってもいなかったと思われます。ブラジルでは日本の感覚は通用せず,もはや競技以前に自分だけでなく仲間,そして日本選手団全員を守るフェーズに入ってしまったのだと思われます。戦う相手は新型コロナウイルスであり,さまざまな要因が絡んでいる現状においてあの時点での日本選手団本部とメディカルチームの決断は尊重すべきものだったと自転車競技チームとして受け止めています。
陽性者となった選手やスタッフは自分を責める毎日を送っているらしく,彼らの身体だけでなくメンタル面でも心配です。このような事態がなぜ起きてしまったのか,それは防げなかったのか,といった検証や考察は今後しっかり行なっていく必要があります。しかし,いまはまだブラジルに残っている陽性者とそれを支える各競技チームの関係者や日本選手団本部・メディカルチームが全員無事に帰国してくることをただ待つしかありません。残りの全競技辞退という結果となったとはいえ,日本選手団149名がブラジルの地に降り立ち,最高峰国際大会である第24回夏季デフリンピック競技大会に参加したという事実は歴史に残り,ずっと讃え続けられるべきだと思われます。そして辞退をすることによって日本選手団のみならず他国を守り,現地の市民を守り,夏季デフリンピック競技大会そのものを守った日本選手団149名に誇りを持ちたいと思います。
5.謝辞
最後になりますが,自転車競技チームはたくさんの大きな荷物を他競技チームのみなさんに運んでいただいたり,トレーニングルームの一部を自転車競技チームの荷物置き場や整備場として使用することを認めていただいたりなど多くの支えを頂きました。また日本選手団本部やメディカルチームのみなさんには出発前からわたしたち日本選手団メンバーを心から応援いただき,身を粉にして競技に専念できる環境を作って頂き,新型コロナウイルス陽性者が増えてからも最後までアスリートファーストの精神で選手やスタッフに寄り添って対応して頂きました。
この場を借りていつも私たちを応援していただいているみなさま,日本選手団のすべてのみなさまにお礼を申し上げます。一刻も早く全員が無事に日本に帰ってくることを心から待っております。
わたしたち夏季デフリンピック競技大会の戦いはまだ終わっていません。
2022年5月18日
一般社団法人日本ろう自転車競技協会 代表理事 高島良宏